【歴史】邪馬台国、畿内説の現在…日本初の都市? 纒向遺跡の遺構
1:樽悶 ★2024/09/18(水) 23:53:11.44ID:1T7nANud9公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」で意見を交わす研究者たち=東京都千代田区の明治大で2024年9月8日 ttps://cdn.mainichi.jp/vol1/2024/09/15/20240915ddm014040146000p/9.jpg 中国の歴史書『三国志』に登場する倭の女王、卑弥呼。そして、卑弥呼が暮らした邪馬台国は日本の古代史最大の関心事と言える。邪馬台国の所在地は、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡を有力候補とする「畿内説」と、北部九州を想定した「九州説」の立場で、考古学や文献史学の研究者や、民間の歴史愛好家による論争が続いている。今回は主に畿内説の現在の状況と、展望や課題を考えたい。 8日、明治大(東京都千代田区)で日本考古学協会が主催する公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」が開催され、会場には265人が集まり、オンラインでは387人が参加した。登壇したのは、いずれも日本を代表する考古学者6人で、所在地をテーマにした内容ではなかったものの、九州説を前提とした意見が示されることはなく、畿内説をベースに議論が交わされた。 シンポジウムでは纒向遺跡の調査に長年にわたって携わる桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長が「纒向王権と邪馬台国論」と題して、桜井市に所在する巨大前方後円墳「桜井茶臼山古墳」(全長204メートル)の再発掘調査や出土品の詳細な分析を行った奈良県立橿原考古学研究所の岡林孝作学術アドバイザーが「『邪馬台国の時代』と古墳~権力基盤継承の観点から~」をテーマに、それぞれ講演した。 纒向遺跡は3世紀初めに突如として出現し、4世紀初めまで営まれた大規模集落遺跡だ。寺沢さんによると水田などが発見されておらず農業的な色彩は薄く、計画的に造営された日本初の「都市遺跡」だという。そうした状況を象徴するような遺構が2009年に見つかった。 JR巻向駅西側の微高地で、卑弥呼の時代と一致する3世紀前半の大型建物跡(南北19・2メートル、東西12・4メートル)が発見された。大型建物跡は塀か柵で囲われており、他に見つかった建物跡と東西一直線に配置されている。周辺で同時代の遺構は確認されておらず、寺沢さんは神聖な空間だった可能性が高いと見ている。また、纒向遺跡の特徴としてよく紹介されるのが外部から搬入された土器の割合が高いことだ。その範囲は九州から関東に及び、人と物の往来が盛んな都市的な様相が浮かぶ。 ただし、纒向遺跡の範囲は南北約1・5キロ、東西約2キロに及び、1970年代に始まった発掘調査は遺跡範囲の約2%しか終えておらず、実態は判明しきっていない。 畿内説を裏付けるものとして、纒向遺跡の区域内にある巨大前方後円墳「箸墓(はしはか)古墳」(全長280メートル)の存在が大きい。国立歴史民俗博物館は09年、箸墓古墳や周辺から採集された土器に付着した炭化物から年代を測定する「放射性炭素年代測定」で、箸墓古墳の築造年代を従来の定説より古い240~260年代と発表した。卑弥呼が亡くなったとされる248年に近く、卑弥呼の墓とみる研究者は多い。 (省略) ただし残る4基の箸墓古墳、西殿塚古墳、行燈山(あんどんやま)古墳、渋谷向山古墳は宮内庁が陵墓として管理しており、立ち入りが厳しく制限され、学術目的であっても発掘調査が行えず、邪馬台国の時代と古代国家成立の解明を阻んでいる状況にある。(以下ソース) 2024/9/15 ttps://mainichi.jp/articles/20240915/ddm/014/040/006000c?inb=ra
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